原付スクーター…
街で、道路で、最もありふれたこの乗り物で、
自宅を離れて…自分の街を離れて…自分の住む地域を離れて…

果たして何処まで行けるのだろう…?
果たしていつまで走れるのだろう…?

最初は、ただの好奇心だった。

それが感動に変わった時…
長い物語は幕を開ける。

BJ引退記念

総集編・第一夜
2004年
始動編


2004年5月
BJと出会う
付スクーター…。

それは日本中で最もありふれた、お手軽な乗り物?である。

私が初めて原付に乗ったのは、高校2年生の頃だったと思う。
ひと夏のバイトで免許取得〜中古のYAMAHA JOG NextZone という1台を手に入れ、
数年間乗り続ける。


初めて手にした愛車は、ある時…心ないイタズラによってパーツを根こそぎ剥ぎ取られて、
泣く泣く・廃車…という悲惨な結末を迎える。。。(^_^;)




時は流れ…

2004年
BJと運命の出会いの年となる。

先のJOG Zを失ってから、実に5年以上ものブランクを置いたのち…、私が何をきっかけに再び原付に
乗り始めようと思い立ったのか。。。

それは…
パチンコが出たから…という、不純極まりない理由だったり…しま・す(笑)


あの当時…あの月……
私の右手には、悪魔が宿っていた…というか、ある意味・神がかっていた(笑)

西陣の『CRスーパーおばけらんど』という台において、負け知らずで
連戦連勝を収め、『ヤバい。これは…何かカタチに残る大きな買い物をせねば…!』 などと、
思い立ち、移動手段の乏しかった事もあり…

『原付…そうや!原付を買おう!それしかない!!』

思い立った次の瞬間には、バイク屋に向かっておりました。


〜〜

バイク屋にて、
新車で買うなら…これとこれと…これなんかどう?みたいに、店先に並んでる実車を見て歩く。
ホンダ車、ヤマハ車、スズキ車…御三家のお馴染みの機種がズラリと並ぶ。

その中で、ひと際・パッと見のインパクトというか…ディティールが、自分のストライクゾーンど真ん中直撃!
みたいな1台に出会う。

それが…それこそが、YAMAHA BJ YL50だった。



※納車して間もない頃のBJ。


まず、ウィンカーの位置が気に入った。

ご覧の通り・フロントカウルの中断辺りに位置しており、
お店の他のスクーターと見比べると、明らかに異質?な
何とも言えぬ、存在感をひしひしと感じる。

そして、この当時のYAMAHA車に多く見られる特徴的な
9つの穴(笑)!
何なんでしょう…この穴は?
ホーンの音がここから出るのか…それとも…

『うああ、あんな所にバルカンが…!?』

…みたいな(笑)?



ちなみに、バイク屋のオッちゃんには、
アプリオも薦められる。

同じヤマハの2サイクル車。
多分、馬力はアプリオのが強力だと思われる・が。

余りにもこのBJのデザインにひと目惚れしてしまい、
ほぼ・即決状態でした。。。(^−^)



かくして、2004年5月11日火曜日…。
運命の機体にして、のちに共に数々の物語を紡ぐ事となるYAMAHA BJ、納車。



2004年9月
北海道へ旅をする
に約5年ぶりに、原付スクーターを手に入れたこの年・2004年。

しばらくは、どこへ行くにもBJに乗ってしまう。


そして、近所のあらゆる場所へ行き尽くしたのち…
『その計画』の初期構想が生まれる。



最初は、私が当時から運営していたWEBサイト・Nomotty Zoneにて、
新たに何か突拍子もない新コーナーを作りだしたくて、漠然と思い立ったのを覚えている。

原付で…果てしなく遠乗りしてみるってのも…面白そうやなぁ…。
そう…1日や2日じゃ辿り着けない様な半端なく遠い場所まで…。


目的地の候補として、最初に白羽の矢が立ったのは、実は青森だったりする。
下北半島にあるという、日本三大霊場がひとつ・恐山…。

その、不思議な雰囲気を実際にこの目で見てみたい…みたいな気持ちが、何故か当時あり、
イタコさんに口寄せして貰って…その模様をUP出来たら…?みたいな、これまた不純?な動機であった(笑)


しかし
色々とリサーチを進めるウチに、興味がもう一歩先へと延びる。

北海道…か。
昔、修学旅行で行って以来だが…、原付で…行けるか?行っちゃうか(笑)!?決定!!!


かくして、その旅の模様を帰還後にUPする為に、わざわざ新たにサーバーを確保。
04年7月、
原付通の原型となるホームページ
…その骨組みが出来あがり、オープンする。

※当初のHPのタイトルは、『アホ企画のプレハブ(仮)』〜改題して、『ノモッティー企画・会議室』…
などというフザけた?タイトルであり(笑)、
あくまでNomottyZoneのコーナーのひとつでしかなかった。


計画はまとまり、
あらゆる方面の調査・準備も滞りなく済む。
あと、この時・相棒にサイドスタンド…という追加装備を施す。

『これより…本ミッションを、「Sexy Adventure'04」と呼称します!』

カタチから入りたがる自分が、当時からそこに在った気がする(笑)

※企画名・命名の由来は、当時、同名のルパン3世Part3のオープニングテーマが大のお気に入りだったからです(笑)


※詳細は旅レポ参照のこと

そんなワケで、2004年9月4日午前9:30…
北海道を目的地とし、
のちの原付ツーリングサイト原付通・その記念すべきツーリング企画第一弾となる旅が幕を開ける。


出発時の距離メーター。まだ1000kmにさえ到達してなかったんですねェ…。


装備に何故か、フォークギター…(失笑)
これは、当時私がまだ音楽活動を割と頻繁に行っていた事に起因する。
原付で北海道を旅する…といった、非日常の渦中にて、きっと素晴らしい曲が書けるに違いない!と
意気込んでの行動でした…が(笑) いやはや…ムチャというか・何というか…(^_^;)



 
2004年9月6日
道の駅・箱根峠 芦ノ湖を眼下に
同日、東京・到達。


大阪から、京都府・滋賀県・三重県・愛知県・静岡県
を順調?に突破し、
旅3日目にして、箱根峠と神奈川県を越えて東京に到達。

原付でも3日あれば、500km以上離れた東京にまで行けるのだ…。
赤い巨塔を目の当たりにした時の感動は、忘れられないものであった。

※こうしてみると、旅の前半・当時は景色ばかりに気をとられ、愛車や自身を写真に収める事が極端に少なかったですね…(^_^;)




2004年9月9日撮影。岩手県突入前後か。

東京を通過後は、東京-青森間を結ぶ日本一長い国道である・国道4号の走破を目指す。
道路標識に「青森229km」の表記が見えた時…、原付での北海道到達が可能である事を身体で
実感したと思います★

※当時の積載…足元にメインの荷物を据え置き、後部キャリアにお粗末なビニール袋でガードしただけの寝袋ひとつ…(笑)
 我ながら・寝袋だけ…って、どういうチョイスの仕方だ。。。(^_^;)



2004年9月11日撮影。
約1週間に渡る旅の末、青森港に到着。
念願の北海道へ上陸すべくフェリーに乗船。
その直前の図。
ようやく、セルフシャッターを使う余裕が生まれたか…(笑)?

※あと、旅前半にグローブ着用を怠った為、両手が激しく日焼けしてます(笑)
青函のフェリー内部にて。
フェリーに原付を積み込むのは、これが初めての
経験だった為、色々と斬新でしたね★



2004年9月11日
念願の北海道、遂に上陸。写真は函館西埠頭。
函館にて一泊したのち…
約・10日間に及ぶ道内の旅が幕をあけるのだった。。。
2004年9月12日 函館〜長万部辺り?
道内の道路は、スラッと彼方まで伸びている道が
多く、走る事の楽しさを肌で感じて大いに感動する。



2004年9月13日 写真は虎杖浜周辺。
宿泊地・洞爺湖を出発する朝より、旅始まって以来の豪雨に見舞われる…(^_^;)
レインスーツ上下に身を包み、万全の態勢で臨む・も、装備の一部に浸水?被害あり。
後年の旅企画における雨対策の良き教訓となる。。


2004年9月14日
初体験となる、ライダーハウスを利用する。
新冠のブルートレインというRH。
その低価格・雑魚寝スタイルの宿に、カルチャー
ショックと独特の面白さを感じた。
同日、朝・苫小牧周辺を出発したのち、
新冠-襟裳岬間の往復によって、1日の走行距離としては
自身歴代最長となる、297.7kmという超長距離走行
記録を弾き出す。
尚、この記録は未だ自身最長記録のままである。


2004年9月15日
札幌市内を経由する。
この日は、岩見沢へ抜けて健康ランドへシケ込む。
9月半ばの北海道…日没前後になってくると、歯が鳴る程に
寒さを感じ、急きょユニクロに寄って防寒着を買い込んだのを覚えている。


2004年9月16日
道内でもかねてより訪れてみたかった場所のひとつ
神居古澤<カムイ・コタン>に立ち寄る。
位置は旭川市に入った辺りか。
3ケタ国道を走り継ぎ、一路・西北西へ…
海を目指す。

走る道路は、国道232号へ…
ここから、道道106号を経て最北端へ伸びるルートは
通称・オロロンラインと呼ばれる快走路。
途中、目を引いたのは幾重にも連なってそそり立つ
白い巨大な風車の群れ
旅情の沸く景観ですね。



2004年9月17日
道道106号へとやってきた。
最北端へ伸びるライダー憧れの道路は、
遥か彼方・地平線へシンプルに伸びる快走路。
走る内にやがて、ガードレールや歩道すらなくなり、
いよいよ日本の最果てへやってきた…という実感を
掻き立てる。
この1本の道路をひた走った記憶…
生涯・色あせる事はないと思います。




2004年9月17日午後4:00
宗谷岬にて



大阪を出発して13日目にして、遂に…日本最北端へ到達する。

原付スクーターの無限の可能性…それを全身で感じた、無量の喜び。

断じて行えば鬼神もこれを避く

やってみたら何でも出来ちゃうモンなんだ。

自分の中でドアがひとつ開いたような不思議な感動が全身を駆け
抜けた夕刻のひととき…
今も昨日の事のように覚えております。



2004年9月18日
最北端・宗谷岬を制覇し、稚内で一夜を
過ごしたのち、オロロンラインを南下する。
出会う景色は、徐々に変化しながら…



時にシンプルに、時に豪快に、
次から次へと、ゆっくりした速度で
後方へ流れてゆく…。
この日は、稚内から留萌への移動となった。
留萌では、なんと利用料金・無料!という夢の様な
ライダーハウスにて一夜を過ごす。



2004年9月19日夕刻
北海道の旅の終着点?小樽へ到着。
順調にいけば、京都舞鶴行きの船で帰還予定…
だったが?
2004年9月20日
小樽発・舞鶴行きのフェリー、原付積載スペースを確保できず、
思いがけず1日半もの自由時間ができてしまう。
というワケで、急きょ・実現した積丹半島日帰りツアー



2004年9月20日
やってきたのは、積丹半島・神威岬
常に荒々しく風が吹きすさぶ印象的な場所
でした。
海沿い中心のルートにて、のんびりと快走する。
後部キャリアにて風にたなびいている黄と青の旗は、
かの有名な?ホクレン・フラッグ
シーズン中に道内随所にあるGS・ホクレンにて
給油すると、当時はタダで貰えました。




2004年9月21日
舞鶴行きの船へ乗りこむ際の1枚。
小樽-舞鶴間を航行する新日本海フェリー・あかしあ
21時間の船旅を経て、京都府舞鶴市へ向かい、
そこから自走して帰還する…といったプラン。

約10日間に渡る周遊を終えて、万感の思いを胸に
北海道を離れる。



2004年9月22日夜
北海道〜長い航海を終えて、舞鶴へ到着。
自宅・大阪までそのまま自走して帰る選択を
とるの…だが?
舞鶴〜大阪へのルートは、漆黒の闇が支配する
国道175〜176号
血も凍る?深夜の走行…それもまた、初めて経験する
ものであった。。。(笑)

静まり返った闇の中、時折道路に亡霊のように現れる
案内標識を頼りに、福知山〜兵庫県南東部を経由して
決死の覚悟?で大阪を目指すのだった…。




兵庫県三田市を経由する途中、
ガス欠の危機に瀕したのも、
苦い思い出だ(笑)

当時はセルフで24H開いてるスタンドも
辺鄙な場所にはそんなに数がなく、
まさにガス欠寸前に、ゆく手に出光のマーク
見えた時は心の底から安堵した。

4リッター少々…という、
相棒の燃料容量をしっかりと意識する
良い機であったと回想する。



2004年9月23日午前4:10
無事・自宅へ帰還。

18日間に及ぶ、本州横断〜北海道の旅…
そして、原付通の記念すべき企画第一弾が
終了した瞬間であった。。。


帰宅直後の相棒の距離メーター。
総走行距離・3201.2kmに及ぶ旅となった。


2004年…それは、自分にとって忘れられない印象的な年となった。

約5年ぶりに原付を購入
そして、この北海道を目指した旅…。

2011年現在、思えば・これまで数限りなく様々な場所へと繰り出してきたワケですが、
その原点は、全て・この年に集約しているのではないか。と自分の事ながら思います。

そして、最初に向かうポイントを北海道に設定したのは、大正解だったと思います。
下ろしたての原付で、日本随一広大な土地をただひたすら北へ向かって走る…
意味…?そんなものは、考えるまでもなし。

そういった、スタイル?のようなモノは、現在の当サイトの指針に脈々と生きておるのではないかと
思いつつ…

最初はHPで更新する変わったネタ?が欲しくて、挑戦した原付によるロングツーリング…。
回数を重ねるごとに、様々な楽しさ・楽しみ方…のようなモノが次々と自分の中に積み重なり、
今や、ライフワーク?的になりつつありますね(笑)


日本1周?を果たす事なく、惜しくも引退してしまったBJですが、
新たな相棒と共に、心機一転してこれからも楽しい旅が出来たら…と思っております。

過酷な道行もあるでしょうが、そんな時は…この04年を回顧し、BJの頑張りを思い出し、
駆け抜けてゆきたいと…強く思います(^−^)★



さて、3度に分けてお送るする予定の此の総集編!
次回は、05年のアウトドアツー…そして、その後・数年のブランク時期のコトなども軽く踏まえた内容で
お送りしたいと思っております。
なるべく早めにお目にかけられるよう、努めますので乞うご期待★


...To Be Continued
第二夜へ続く

BJ引退記念
ノモッティー&BJ

◆座 談 会◆
其の壱
はい!という事で、始まりました。座談…会?で、ええんかな?
知らん。
え、なんかテンション低いで。大丈夫?
疲れてんねん。
あ…ああ、まあ。そら、7年間も走ってきたワケやから…ねぇ。

とりあえず、この席の趣旨としては。。。BJ君!アンタのその
長年の働きに敬意と感謝を評して、お疲れ様!と…
打ち上げ的な感じやねんけど…って、もしもし・聞いてます?

腹減った。
嘘ォ(笑)!?
確か…エンジン止まった時は、満タンやったハズやけど。。。(^_^;)

ま…まあ、それは置いといて。
とりあえず、ホンマにお疲れ様!やね。
この7年間、どうでした?


疲れた。
さっき聞いたよ、そ・れ・わ(笑)!
いや、そういう事やなしに。。。
そうですなぁ…。
今回はこうして、最初の北海道行きをメインにお伝えしたんですが。

例えば…今までそう・32都道府県を走ってきて、
印象に残ってる場所とかあります?

忘れた。
……。
あかん…。今日はホンマにテンション低いわこのヒト…(笑)

じゃ、じゃあ・逆に私に聞いてみたい事とかってあります?


…。何で、俺の色・銀色にしたん?
あ、それは…そのぅ…。
なに?なんで?ムッチャ気になる。
ズバリ!
当時…バイク屋さんの在庫に銀色しかなくて、
取り寄せになったら、納車が遅れるからでした!
すいませんッ!!!


(失笑)
まあ、そんなこったろうと思てたわ…(笑)


ちなみにホンマは黒が欲しかったんよね…
え? な・に(怒)?
あ、いや。何でもないです。。。

まあ、真剣なハナシ…乗ってるうちに銀色が気に入りましたわ。。
ええ色ですよ★

街で一番よく見かける気もするけどな…(笑)
ハハハ…(^_^;)

ま・まあ、とりあえず。こんなノリでまた何度か来てくれます?

う〜ん。気が向いたらね…(笑)
というワケで、また次回!お目にかかりましょう★
お送りしたのは、ノモッティーと…

………。
ほ…ほら、〆!シメ!
お送りしたのは、ノモッティーと…
……ふう…。。BJでした。


See You♪

back